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2024.04.24

幕末肉食伝

「だしの伝道師®」土居でございます。

明治維新の原動力です。

 

洋食のススメ

黒船が浦賀に来襲したのが1853年。その14年後に江戸幕府が崩壊するわけですが、この間、黒船や大砲の技術とともに肉食を中心とした西洋の食文化が日本になだれ込みました。
そして、食欲旺盛な若人だった幕末の偉人たちも肉に食らいついたんです。

 

福沢諭吉 パブリック・ドメイン 出典:Wikipedia

 

福沢諭吉(黒船を見た時19歳)。
黒船に対抗するにはオランダの砲術を学ぶべしと緒方洪庵の適塾でオランダ語を学び、その後英語も習得。勝海舟艦長の咸臨丸に乗り込み、アメリカの自由で平等な市民社会に触れました。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり」は有名ですが、3度の洋行で洋食に触れた諭吉は、「食に攘夷なし」という名言も残しています。かなりの肉好きだった上に、パンやカフェオレなどにも親しんでいました。

 

西郷どんと近藤さん

西郷隆盛 パブリック・ドメイン 出典:Wikipedia

西郷隆盛(同27歳)。
「敬天愛人」をモットーに、天を敬い人を愛した西郷さんは大食漢。大好物はウナギ、肉、カステラ。特に、中国から黒豚が伝えられていた鹿児島では、三枚肉や骨付きあばら肉を煮込んだ「とんこつ料理」を好んで食べてました。

 

近藤勇 パブリック・ドメイン 出典:Wikipedia

近藤勇(同20歳)。ご存じ幕末のヒーロー、維新のあだ花。農民出身ながら武士よりも武士らしい近藤が幕臣に取り立てられたのは、幕府消滅の4ヶ月前。映画やテレビでも、不条理を呪うように肉鍋をむさぼるシーンをよく見かけます。新選組の屯所だった西本願寺でもぼたん鍋を爆食し、精進料理に慣れた門主が獣臭に辟易したそうです。

 

慶喜とかつお節

徳川慶喜 パブリック・ドメイン 出典:Wikipedia

徳川慶喜(同17歳)。
ペリー来航時は戦争になっても鎖国を解かないと言っていた慶喜ですが、30歳で将軍になった頃には海外情勢の見識も高く、大政奉還。ハイカラ趣味で肉食も大好き。江戸っ子は、「豚を召しあがる一橋さま」を縮めて「豚一さま」と呼んでいました。

 

 

ただ、慶喜はかつお節も大好きで、かつお節を削ってしょうゆをかけて食べていたそうです。
時代を創る傑物は、肉にせよかつお節にせよ、間違いなくたんぱく質を摂取していたのです。

 

マルトモ株式会社 マーケティング本部 本部長
土居幹治 専務取締役

愛媛大学農学部農芸化学科を卒業後、マルトモ株式会社に入社して
研究開発に従事。九州大学への論文提出で農学博士号取得。
「だしの伝道師Ⓡ」という二つ名で小学校や公民館での出前授業を実施し、
かつお節文化の拡散に邁進中。

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