土居幹治 専務取締役
愛媛大学農学部農芸化学科を卒業後、マルトモ株式会社に入社して
研究開発に従事。九州大学への論文提出で農学博士号取得。
「だしの伝道師Ⓡ」という二つ名で小学校や公民館での出前授業を実施し、
かつお節文化の拡散に邁進中。
「だしの伝道師®」土居でございます。
忘れられない焼き芋の思い出です。
先日、銀座のデパ地下に店舗を構える焼き芋専門店「cadeau de CHAIMON(カドー ドゥ チャイモン)」を訪ねてみました。
華やかな売場のおしゃれなショーケースに敷き詰められた石の上に、品種別の焼き芋が鎮座していました。
いざ花の銀座の焼き芋を吟味せんと、鹿児島県種子島産の「甘蜜安納」を1本買ったんですが、100g368円。1本250gだったから920円。
焼き芋1本920円ですぞ!
けっこうな衝動買いに立ちくらみを覚え、エレベーターホールの椅子でしばしクールダウン。甘蜜安納を手にしたまま40年前にトリップしました。
ろくなおやつがなかった昭和40年代前半。町内にリヤカーで行商に来た石焼き~いもが無性に食べたくなって、母親に100円をおねだり。4個買えました。くるんだ新聞紙越しの温もりが、今でも両手に残っています。
その焼き芋をほくほく頬張っていると、祖母がさらに30年遡った戦時下の思い出を語り始めました。校庭を耕して薩摩芋を植えたこと。芋の茎もご馳走だったこと。戦争末期には松の根油同様、薩摩芋アルコールを戦闘機の燃料にしたこと。
傍らでこの話を聞いていた祖父が、さらにさらに200年遡った享保年間のうんちくを披露してくれました。「甘藷先生」こと青木昆陽が、飢饉対策として薩摩から取り寄せた種芋を江戸で栽培したこと。栽培が軌道に乗ると身近な食料として定着し、ふかし芋の行商が現れたこと。焼き芋屋は幕末になってやっと出現したこと。
「栗(9里)より(4里)うまい13里、ほっこり、ほっこり」
祖父が行商の呼び声をまねするところで記憶は途絶え、トリップもおしまい。
詮無い話ではありますが、4個で100円の芋と、校庭の芋と、銀座の芋を食べ比べてみたくなりました。920円の芋は、平和と繁栄の味かな。
ちょっと恥ずかしかったけど、エレベーターホールで思い切って甘蜜安納にかぶりつきました。トリップのせいで胸がつかえて苦しかった。
思い出と焼き芋をごっくん飲み込んで、銀座を後にしたのでした。
愛媛大学農学部農芸化学科を卒業後、マルトモ株式会社に入社して
研究開発に従事。九州大学への論文提出で農学博士号取得。
「だしの伝道師Ⓡ」という二つ名で小学校や公民館での出前授業を実施し、
かつお節文化の拡散に邁進中。
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