土居幹治 専務取締役
愛媛大学農学部農芸化学科を卒業後、マルトモ株式会社に入社して
研究開発に従事。九州大学への論文提出で農学博士号取得。
「だしの伝道師Ⓡ」という二つ名で小学校や公民館での出前授業を実施し、
かつお節文化の拡散に邁進中。
「だしの伝道師®」土居でございます。
夏バテ防止に豚肉をおすすめします。
在京時代、五反田にある「日南」という料理屋で豚肉料理をよく食べていました。無菌豚の生ベーコンやしゃぶしゃぶが有名で、上品なうま味に引き寄せられるファンでいつも満席でした。
豚肉といえば東京です。ランチで豚の生姜焼きが出ない定食屋はないし、肉じゃがもカレーも豚肉派が主流。そもそも東京で肉といえば豚肉のことを指し、牛肉はわざわざ「牛」と呼んで区別します。
では、なぜ東京に豚肉文化が定着したのか。
諸説ありますが、幕末の偉人が豚肉好きだったからという説がおもしろいです。15代将軍徳川慶喜は大の豚肉好きで、小麦粉と溶き卵を付けて焼くポークピカタなんかも食べたそうです。また、新撰組の近藤勇局長は、屯所の生ゴミをエサに豚肉を飼い、スタミナ源としていました(その後、壬生の屯所から江戸に持ち込んだ)。
両者とも官軍じゃないところが少々気になりますが、牛肉の15倍も含まれるビタミンB1の効果で、尊皇攘夷の踏ん張りが効いたのかもしれません。もちろん、武士が多い江戸には馬も多く、農民が多い地方と違って牛を飼う余裕などなかったから飼いやすい豚が増えたという理由も捨て置けません。
武士の生活が影響を及ぼした習慣は他にもあります。左脇に差す刀がすれ違う相手とぶつからないよう往来が左側通行となり、それが世界的にマイナーな日本のクルマの左側通行となりました。東京のエスカレーターで左側に立つのも同じ理由かな。
そして我らがかつお節。武士が戦の時に腰にぶら下げたかつお節は、貴重なタンパク源であると同時に「勝男武士(かつおぶし)」と称する縁起物でもあったんです。だから、お祝い事にかつお節を贈る習慣ができたとか。豚肉の街、かつお節の街、今も昔も江戸は文化の発信地なんですね。
愛媛大学農学部農芸化学科を卒業後、マルトモ株式会社に入社して
研究開発に従事。九州大学への論文提出で農学博士号取得。
「だしの伝道師Ⓡ」という二つ名で小学校や公民館での出前授業を実施し、
かつお節文化の拡散に邁進中。
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